2019-05-16 第198回国会 参議院 内閣委員会 第16号
二〇一三年八月五日、宜野座村に米軍ヘリが墜落をしました。ダム管理者には通行許可書と鍵があり、日頃は自由に出入りできますが、このとき、米兵が立ち塞がり、現場に行くことが一切できませんでした。空撮映像によって、墜落現場がダムから僅か数十メートルであり、しかもダムより高い場所にあることが分かりました。有害物質がダムに流れ落ちることを懸念し、その日のうちに取水を止めました。
二〇一三年八月五日、宜野座村に米軍ヘリが墜落をしました。ダム管理者には通行許可書と鍵があり、日頃は自由に出入りできますが、このとき、米兵が立ち塞がり、現場に行くことが一切できませんでした。空撮映像によって、墜落現場がダムから僅か数十メートルであり、しかもダムより高い場所にあることが分かりました。有害物質がダムに流れ落ちることを懸念し、その日のうちに取水を止めました。
これは何かといいますと、二〇一三年八月五日、宜野座村に米軍ヘリが墜落をしました。ダム管理者には通行許可書と鍵があり、日頃は自由に出入りしておりましたが、このとき米兵が立ち塞がって現場に行くことが一切できませんでした。空撮映像によって、墜落現場がダムから僅か数十メートルであり、しかもダムより高い場所にあることが分かりました。有害物質がダムに流れ落ちることを懸念し、その日のうちに取水を止めました。
によって設置された沖縄に関する特別行動委員会、SACOのプロセスが始まり、平成八年十二月にSACO最終報告が取りまとめられ、平成十一年十二月には普天間飛行場の移設に係る政府方針の閣議決定が行われ、平成十二年以降、沖縄県等との間の協議会における協議が持たれ、平成十四年七月には政府と沖縄県等との間で代替施設の使用協定に係る基本合意書の締結がなされ、平成十八年四月には防衛、当時ですね、防衛庁長官と名護市及び宜野座村長
初日は、まず、宜野座村にある道の駅ぎのざを訪問し、沖縄振興一括交付金事業であるリバーパーク事業を視察し、宜野座村から、事業の概要等について説明を聴取いたしました。
平成十八年四月に名護市長及び宜野座村長との間で現行のV字案を前提に普天間飛行場の代替施設の建設に係る基本合意が締結をされ、同年五月の日米2プラス2でV字案が承認されたわけであります。また、同月、当時の額賀防衛庁長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認を結んだ上で軍民共用や使用期限問題を取り上げ、平成十一年十二月の閣議決定を廃止したものと承知しています。
その過程で、地元から上空を飛行することを回避してほしいという要望があり、国と地元が真摯に協議を重ねた結果、最終的に、平成十八年四月に防衛庁長官と名護市長、宜野座村長との間で現行のV字案を前提に普天間飛行場代替施設の建設に係る基本合意を締結をして、その後、同年五月の日米2プラス2でV字案が承認をされた、このように承知をいたしております。
現在の普天間飛行場代替施設の建設地点につきましては、代替施設の周辺地域の上空における飛行ルートに関する名護市長あるいは宜野座村長からの要請も考慮して、米側と調整をした結果としまして、平成十八年五月の日米安全保障協議委員会の際に発表された、再編の実施のための日米ロードマップにおきまして、普天間飛行場代替施設を、辺野古崎とこれに近接する大浦湾と辺野古湾の水域を結ぶ形で設置し、V字形に配置されるとされたところでございます
○政府参考人(深山延暁君) ただいま委員から粉じんあるいは家屋に対する損害という御指摘もあったところですが、こうした御指摘を沖縄防衛局も宜野座村の方々から受けているという報告を私も受けておるところでございます。 防衛省としては、まず、そうした被害につきましては、被害の実態、具体的な因果関係の把握に努めつつ、どのような対応が可能か検討してまいりたいと考えておるところでございます。
○赤嶺委員 三月も当委員会でも私は取り上げたんですけれども、金武町や宜野座村の周辺で、米軍ヘリがつり下げていたタイヤを落下させる事故を引き起こしました。金武町議会事務局がつくった地図を当委員会で示しながら、公共施設や民家が入り組むところで起きた事故であるということをそのときも指摘いたしました。
そこで、今いろいろと資料も整理しながら質問しているわけですけれども、普天間飛行場周辺や宜野座、伊江島、海兵隊演習場で被害をもたらしている主要な原因は、第一海兵航空団、中でもオスプレイを運用する実動部隊であるあの第三六海兵航空群です。 この部隊は、2プラス2共同発表には明記されていないにもかかわらず、防衛省提供資料に沖縄に残留する部隊としてリストアップされています。
また、宜野座では、昨年十二月六日、米海兵隊のオスプレイが城原区の集落上空でつり下げ訓練をし、沖縄防衛局中嶋局長が米海兵隊に抗議し、局長は宜野座村と県に謝罪しました。しかし、翌十二月七日以降もつり下げ訓練は実施され、一旦自粛されていたものの、今年三月八日につり下げ訓練が再開され、UH1ヘリがつり下げたタイヤを落下させる事故を起こしています。
宜野座村側には、泉さんという方が、着陸帯から三百八十メートルのところに住んでおります。 防衛大臣に伺いますが、施設や区域内といっても、事故が起きたのはフェンスの外であります。すぐ近くには、入り組んだ形で公共施設や民家があります。そうした住民の生活の場で危険な物資つり下げ訓練が繰り返され、今回の事故が起きたということは認識されておりますか。
先日十三日、金武町長と宜野座村長がそろって沖縄防衛局長に抗議の要請を行いました。つり下げ訓練を直ちに中止し、民間地域近くにあるヘリパッド、ここではファルコンですが、を閉鎖することを求めました。 防衛大臣、こうした切実な声に応えるべきだと思いますが、いかがですか。
○赤嶺委員 それでは次に、三月の八日、沖縄の金武町、宜野座村周辺で、米軍ヘリが物資つり下げ訓練中に、つり下げていたタイヤを落下させる事故を引き起こしました。地元の住民と行政区、自治体が危険なつり下げ訓練の中止を繰り返し求めていたにもかかわらず、訓練を再開し、しかもこのような事故を引き起こしたことは極めて重大であります。
このパネルは、沖縄県宜野座村城原区で民家のすぐ上をオスプレイが飛んでいる写真です。すぐ上といっても、これはもう手が届くかのようなところで、私、ここに行って、ここに住む方に話を聞きましたけれども、パイロットと目と目が合っていると、パイロットが笑っていることが分かると、夜はもっと大きく見えるんだ。
そういう態度を続けているから、先週八日、同じ宜野座村城原区で、米軍のヘリがつり下げていたタイヤを落とすという、また新しい事故が起こるんですね。 防衛省は、二〇一二年九月のオスプレイの配備の際に日米合同委員会で安全性について合意されたとしております。住宅地や学校など人口密集地は飛ばないと言いながら、実態はこういう訓練が、危険な訓練が繰り返されている。
その上で事実関係について申し上げれば、昨日、宜野座村城原区近傍に所在するキャンプ・ハンセン内の着陸帯周辺において、沖縄防衛局職員が、米軍航空機のつり下げ飛行を確認し、関係自治体の皆様に対しその旨をお伝えしたところでございます。
宜野座村の城原区に泉さんという方が住んでおられます。この方は、自宅から三百八十メートルの場所にファルコンという米軍の着陸帯があり、屋根をかすめるようにしてオスプレイが低空で飛行訓練を繰り返すところです。先ほどの高江の安次嶺さんのところは着陸帯から四百メートル、城原の泉さんのうちは三百八十メートル。 ここで何が起きているか。
そして、御指摘の、宜野座村城原区の住宅地周辺における米軍オスプレイのつり下げ飛行については、外務省としましても、米軍に対して申し入れを行っているところです。昨年十二月九日、川田沖縄担当大使からニコルソン在日米軍沖縄地域調整官に申し入れを行ったところであります。 いずれにしましても、住民の皆様の生活の安心、安全、これは最大限配慮されるべき大変重要な課題であると認識をいたします。
防衛局長は、異例なことですが、その報告を受けて、宜野座村長に謝罪に行ったわけですよ。宜野座村長に行くところまでは区域外だという認識を持っていたんですよ、持っていたんですよ。 それが、米軍の司令官に会ったら、米軍の司令官が、いや、あれは施設の中だったか外だったかよくわからぬねということを米軍が言い出したら、途端に防衛局も態度を変えて、よくわかりませんと。
これは、平成十八年に地元の名護市及び宜野座村とも合意をし、近隣の集落上空の飛行ルートを回避するため、それまで一本の滑走路であったものを変更し、米側と協議して合意をしたものであります。 政府としては、米軍機の飛行に際して、安全面の確保が大前提であります。
十二月六日から四日連続で沖縄県宜野座村城原区でオスプレイ機が物資を付けて、つり下げて飛行訓練行っておりますが、オスプレイは墜落事故が多く、真上を飛行するだけでも不安になります。騒音は百デシベルを超え、低周波音でかなりの圧迫感があったと想像できます。今回のこの訓練でつり下げている物資は箱状のものでありますが、つり下げは落下の危険性が度々指摘されてきております。
特に、宜野座村の民間地で行われている危険な訓練は高江でも行われるのではないかというふうに住民は危惧しております。 沖縄県民も国民です。日本の国民と私たちは思っておりますが、どうして沖縄の県民だけがこういうふうな状況で危険にさらされていくのか、私たちの生命や生活を犠牲にして成り立つようなこの日米安全保障には賛成できないということを強く申し上げて、質問を終わりたいと思います。
一九五五年七月二十一日の夜のことですが、沖縄本島の北部の国頭、東、久志、金武、宜野座、名護の六町村長と中部の具志川、勝連両村長のもとに、米軍から電報が届きました。翌二十二日に米軍への出頭を求める内容でした。そこで、当時米軍が沖縄統治のために設けていた琉球列島米国民政府の軍用地係のスミス氏が、北部の山林地帯や中部の海岸地帯など合計一万二千エーカーの新規土地接収を通告いたしました。
○糸数慶子君 今回補助が打ち切られる学校、それは宜野座村、そして恩納村、伊江村、中城村、浦添市、西原町、那覇市とされているわけですが、その補助が廃止されるそれぞれの学校そして保育所などでは今後、米軍機の騒音はないというふうに言い切れるのでしょうか。
外務大臣は今、牧港以南の基地の立入禁止を言いましたが、宜野座村は牧港より北側にあるんですよ。同じ恐怖を感じると言っているんですよ、基地のそばの人たちは。 今のような当事者意識のない無責任な対応がこの米軍の事件を頻発、拡大させている、その責任は重大だ、米軍の事故をなくすためには、やはり県民みんなが言っている、基地を撤去する以外にないんだということを強く申し上げて、質問を終わります。
また、事件が起こった那覇市から遠く離れた宜野座村の村議会でも決議は上がっておりまして、同様な事件は宜野座村でも発生しかねず、村民は恐怖の中での生活を強いられている。 繰り返される犯罪に直接ぶつかっている県民の意識に比べて、私は、政府の当事者意識というのは本当にどのぐらいあるんだろうかというようなことで、いつも怒りを禁じ得ません。
○下地委員 今回のV字の滑走路をつくりましたけれども、これは最終的に、当時の額賀防衛庁長官のときに、宜野座村の方とか金武町の方々が、離発着において上空を飛ばないというようなことの住民の理解を得るために、このV字形というのが選ばれたわけなんですね。
当時は、嘉手納弾薬庫、嘉手納飛行場、宜野座村の潟原海岸、浦添市の牧港地先、ホワイトビーチ沖、キャンプ・シュワブ、次々と挙がり、移設先探しは混迷したわけですね。だから、自民党が民主党をいろいろ言うのはちょっと、自分たちも混迷していたよなという反省の上に立っておっしゃるのであれば納得するんですが、余り納得できない議論であります。
その後、現行のV字案、これは、環境に配慮して、名護市、宜野座村から集落の上空の飛行を避ける要望がありまして、このV字案を検討いたしまして、平成十八年の五月に、当時の額賀防衛長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認書を結んだ上で、同年八月以降、普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会において、政府と県や関係自治体との間で、代替施設の建設計画や環境影響評価手続、また普天間飛行場の危険性の除去等
その後、宜野座村の村営野球場機能高度化事業を視察した後、那覇市へ戻り、対馬丸撃沈事件を後世に伝える対馬丸記念館を訪問し、同館の運営状況などについて概況説明を聴取し、館内を視察しました。 続いて、沖縄県の経済関係者と沖縄経済の今後の展望、農業や漁業に関する諸課題について意見交換を行いました。